くちづけキボンヌ

でんぱ組.incの旭日の勢いは、昨今の不祥事続きのろくでもないアイドル業界にとって唯一の快事であろう。メンバーの平均年齢が高い点も練度の高さという意味でプラスに働いているし、一部寄生作曲家作曲以外の楽曲の質も高い水準を保っている。サクラあっぱれーしょん、でんぱれーどJAPAN、など数々の屈指の名曲たちの中でも、ひときわ異彩を放っているくちづけキボンヌ。本日はこの楽曲を読者諸君に紹介したいと思う。

くちづけキボンヌは卒業する跡部みぅのために特別にあつらわれたいわゆる卒業ソングであるが、歌詞の内容などに卒業らしい要素は何一つ含まれていない。これは跡部の卒業が軽んじられているからではなくむしろ重く受け止められているからだと個人的には考えている。でんぱソングを標榜する同時代の楽曲が、やはり頭にこびりつく感じの文字通りの「でんぱ系」である中で、表面的には初の本格バラードと言っていいほど落ち着いた楽調、しかしその内側に火焔のような激情を秘めており、それがまた妙に跡部の歌唱に合っているからである。この楽曲は跡部みぅの声質でなければ100%の深みが出ない。でんぱ組は相沢梨紗成瀬瑛美といった歌唱を引っ張る主要ボーカルを豊富に揃えているが、梨紗をメインに据えても跡部以上の味わいを出すことが難しかったことが6人バージョンですでに証明されている。梨紗はもちろん相当に上手いが、跡部の押し殺したような少し粘着性のある声質で発せられる「まさか思ってたの?」という問いかけは多分にして小悪魔的であり、梨紗のクリアリな声質では表現できないものを跡部が見事に表現しきった。1番の跡部メインパートを古川と相沢の二人が分担して受け継ぐことになった6人バージョンでは、古川は代替の利かない【みりん節】と呼ばれる独特な歌唱法を取っているため、旧来のみりんパートと同様の歌い方を貫いてる(余談だがみりん節は当楽曲との相性もなかなか良い)が、相沢は(ここが古川に比べ相沢の器用で巧い所であるのだが)声質の表面をざらつかせるような歌唱法、つまり大分跡部に寄せた歌唱法をあえて取って、旧来の相沢パートと比べても印象の変わった歌唱を披露している。これをどう見るか。相沢が今でも親交のある跡部の思いに導かれたと見るか、跡部が相沢に憑依してその場で歌ったと見るか、ここは受け取り手であるヲタ次第で、さまざまに楽しむべきところだろう。筆者個人としては直後の「まさか思ってたの?」に夢見相沢が入ると完全に夢見の声が死ぬので、やはり跡部の前バージョンが至宝なのだが、6人バージョンの方は相沢の跡部に対する思いが表れているようで感慨深いのである。

歌い手との相性が十分に考慮され、最高の楽曲を最高のコンディション下で提供できているでんぱ組はこの時点で単なるアイドルという枠組みを完全に乗り越えてしまっていると言える。アイドル業界にはゴミのような事務所推しが蔓延し、なぜこの楽曲の、このパートを、このメンバーが歌うのかという矛盾や、この楽曲は他の誰が歌っても変わらないじゃないかという倦怠、若く、見てくれはいいが他に一顧だにすべき才能を持ち合わせず枕で成り上がる人一山いくらの大安売りと、いつも全員で同じパートを歌っていて誰か一人欠けているのになぜかそいつの声が聞こえるという欺瞞が反吐が出るくらいツマラナイ業界をより一層つまらなくしていた。その時代に一石を投じ、跡部みぅという一個の才能を完全に引き出す徹底した仕事ぶりを見せたでんぱ組は、音楽を提供しようとする側の心構えという一点だけをとっても他の有象無象と完全に一線を画している。その気宇の壮大さはアーティストと言っていい物だろう。

後半の大サビ。執拗に繰り返されるリフレインのなかで「こんなに好きなのに、つれないんですね・・・」と呟く。歌とは、音楽とは。本来は秘めたる自己の発露であり、煮え切らない多重の苛立ちのなかで、自己を現すために慎重に選ばれた言葉たち。たった8小節ですべてを表現するための跡部の抑えた歌唱。ただ単にアイドルの楽曲ということで片づけられない何かを、でんぱ組に感じる。