トップソロ失陥

5月27日付のオリコン発表によると
松浦亜弥の最新シングル「きずな」は総売り上げを6007枚に留めた。
かつて燦然と輝いたミリオンアイドルの名は今や十把の叢に紛れ、
往年の俊英はもはやその影すらも見出だすことが出来ない。
ハロプロ唯一の勝ち組とすら称された松浦がなぜここまで凋落したか。
当初からこのブログでの私のスタンスは変わっていないつもりだ。
この現実を真摯に受け止め原因究明することで
ハローアイドルの活路を見出していかねばならない。


まず松浦がなぜこのような記録的大敗を喫したかである。
もともと松浦はコテコテのアイドルソングで名を成した人だった。
それが、年齢詐称とも囁かれがちな実年齢より上に見える外見
(実年齢が何歳だか知らないが、)や、スキャンダルの発覚などの
諸事情を踏まえてアイドル継続が困難になり
「大人の路線」に大幅変更を余儀なくされたのは2007年。
以降の松浦は全くと言っていいほど精彩を欠く。
この議論は今に始まったことではないのだが、
良く言って「路線変更」、実のところの体の良い「ヲタ斬り」が
時代の要請とはまったく正反対のものであったことは明記しておく。
松浦はコンサなどでもしばしばヲタに対する厳しい批判を投げかけており、
目論見どおりヲタを切り離すことに成功しただろうが、
同時にアイドル時代に勝ち取った多くの一般層も
あまりの手厳しい言動と、ノリの悪い大人の楽曲に嫌気をさし
松浦の元から離れていってしまった。
こういった経緯から考えると今回の6007枚という数字は
まだ減るかもしれないが、度重なるヲタ斬りに耐えて松浦の手元に残った
「本当の意味での精鋭(マジヲタ)」と考えていいのかもしれない。


成功者の例も見ておこう。
信じられない人も多いとは思うが
ほぼ同時期にリリースされた我らが藤本美貴の「置き手紙」は
目も当てられないスキャンダルの直後という劣悪な環境下において
松浦の「きずな」をはるかに超える11000枚のセールスを記録している。
松浦との違いは「きずな」がミディアムバラードだった事実に対し
はっきりと歌謡曲と打ち出したこと。
しかし本質的な成功の原因はそんなことではあるまいと私は睨んでいる。
藤本は娘時代から松浦とは全く逆の美点を持っていたことで有名だった。
それは「ヲタを大切にする」というアイドルの原点に立ち返る
深遠な命題について、藤本はそれを是としたことである。
どの舞台の上でも藤本は常にヲタの視点を大切にしていた。
後輩の田中が猫の物真似をためらって出来ないでいるのをサポートしたり、
自身最大のヒット曲である「ロマンティック浮かれモード」では
「マワりたいんでしょ。」
と、ヲタ芸をほぼ肯定する発言をしてヲタを歓喜せしめた。
障害者やヲタに至るまで、特に社会的弱者に対する藤本の対応は
いつも丁寧で且つ的を射ており、こうした層からは
それこそ女神のように崇拝されているのが藤本の愛され方なのである。
スキャンダル後に藤本の手元に残った11000は
ソロ、娘時代からの藤本の温かい恩恵を受けた決死の11000だったと
容易に読み取ることが出来る。


今回は、敢えて両者を比較論的に論じることで、
アイドル時代の両者の活動内容が勝敗を分けたと結論付けたが、
当てにならない事務所の意図をはなから度外視することで
却って物事の本質に近づけたような気がする。
あるコンサ列の中で私は一人の知能障害者に話しかけられたことがある。
「推しは誰ですか、僕は藤本美貴です。」彼はたどたどしくそういった。
藤本の歌が聞きたいからここに来たんだ、彼女の歌にやられましたわと。
言葉の不自由な者でも藤本の歌が自分の力になることは分かるらしい。
藤本を語る彼の眼はきらきらと輝いていた。
彼らにここまで夢や希望を与えられえるのはすばらしいことだと思う。
そういう一人ひとりの思いがCDの売り上げ一枚一枚になっているのだと
忘れない者だけが、結局最後に生き残るのではないかと思う。
松浦が6007枚という数字を、ただの6007枚だと思っているならそれは悲しい。
最後まで付いてきた、本当に自分を愛してくれている人が6007人もいると
むしろ前向きな姿勢でこの6007人を大切にすべきだ。


他の誰でもない、大親友である藤本美貴がそれを教えてくれた。