かわいい神話の崩壊〜道重さゆみ〜

最近ネットでも特に多く目にするのが
TV出演の多い道重さゆみに向けた同性からの批判ブログである。
その要旨の殆どはムカつく、見ていられない、ナマイキだ、どこがかわいいの、等
明らかに個人の気分から端を発した、立証不可能、且つヒステリックな感情論が主で
便所の落書きにするにも公の景観を損なうチラシの裏レベルの糞ブログが多い。
しかしここで見落としてはならないのは、これら糞ブログの多くが
例えば三十路四十路を越えたいい年増女達を主軸とする年齢層だけでなく
道重と同年代や、上下一桁の世代にまで輪を広げ書かれている事だ。
道重は明らかに女性全体を敵に回したスタイルのままTVに出演し続けている。


ここに、道重が描く戦略以上の何かを受け取れないものはさっさとヲタクを辞めてしまえ。
道重が身体を張って伝えたいのは、他の何者でもなく我々ヲタクへの熱いメッセージと
嘆かわしい限りの現代社会への猛烈な批判である。


女性は自分をかわいく見せようとする傾向がある生物だ。
これは生物として至極まっとうなことで、虫が秋にいい声で鳴いたり
猫が春先になるとゴロゴロ言い出すのとまるで変わりのない自然な欲求であり、
否定すべきものでもなんでもない。
しかし、智において他の生物に勝る人類のメスは、
同じかわいいにもいくつかのカテゴライズを設け、
そこそこのこだわりを持って自分らしいカワイサを追及する特性を持つようだ。
あるものをアゲ嬢と呼び、わけのわからん造詣を頭上に掲げ、盛りと称して高さを競い、
またあるものはパンクと称しタトゥーやピアスをもって自らの矜持とする。
全くもって「文化」としか呼び様のない特異な追求の仕方をするのが人類のメスだ。


しかし、知能が膨れ上がり、文化があまりにも細分化した結果、
我々ヲタクが味わった地獄を、遅れてきた彼女達は受け入れることができるのだろうか。
彼女達は何世代か前の我々ヲタクと全く同じだ。


「つまらないことへの強烈なこだわり=執着心」


特に若い女の子達はこの地獄と必死に戦っている。
自らの美を追求し、達成することに必死であり、
自らの矜持と他の矜持のぶつかり合いの中でお互いに傷つき、
相手を破るのに必死であり、時に破られて一層の努力をするのに必死だ。
冒頭の道重叩き:どこがかわいいの?
などという問いはまさに自分の矜持とする美学に対する社会への問いかけそのものだ。
相手の矜持を社会的に打ち破ることで自分の矜持を満足させようとしている。
道重が再三の叩きにもめげずに自分の美を貫こうとするのは
こういった執着心から来る争いに上下の別はなく、
どれも愚かしくどれも間違いだというメッセージを我々に伝えんがためである。


美を追求する女性達よ。
諸君らはそのままで十分美しいではないか。
過ぎた執着を元に他を叩いたり、出し抜こうとしている君達は便所蟋蟀よりも醜い。
美しさにこだわることが愚かなのではなく、拘りすぎる故に大局を見れないことが愚かしい。
行き過ぎた執着は己を傷つける。
これが、かつて下らない性への執着心から大局を見誤り、現代アニメ文化を誤った方向に導いた
責任ある我々団塊JR世代からの愛のメッセージだ。