嗣永桃子論

めちゃイケ出演を皮切りに嗣永桃子の人気が急上昇している。
視聴者をイラッとさせるキャラが、
お笑い芸人に弄られる様がおもしろおかしいということで、
彼女はいまやちょっとしたお茶の間のブームだ。
桃子人気の中核をなすこのキャラについて、
狼で先日議論になったことも踏まえて、
嗣永桃子というアイドルについてもう一度考えてみたい。


現在の桃子を知る人は意外と思われるかもしれないが
桃子の所属グループ「ベリーズ工房」における彼女の役割は、
どちらかというと口やかましくしてでもチームを引っ張る
しっかり者のお姉さん的存在だった。
小学生の中の最年長メンバーとして、
ZYXとしての有活動経験者として、
主演映画までもこなしたことのある実力者として、
桃子がチームを引っ張っる事は必然であったと言える。
菅谷というメンバーに対してダンスの失敗をたしなめたり、
臆病で役立たずの石村を最後まで励まし続けたことも、
キャプテンであった清水を凌駕する牽引力の表れだった。
面倒見の良さと、努力家である本人の性格あってこそだろう。


ところがこういった桃子の地道な努力や働きかけを
事務所はあまり認めたがらなかった。
ベリーズの活動では菅谷をセンターに、ボーノでは鈴木と、
桃子にスポットを当てようとは考えなかったのである。
しかし、我々キッズ創業以来の古参ヲタは皆知っていた。
本当に評価されなければいけないのは誰よりも桃子であると。
ベリーズ工房が存続できるのは桃子の尽力のおかげであると。


恋の呪縛イベントでの出来事を私は一生忘れることはできないだろう。
握手前の歌唱ステージで、あまりにもキモいヲタを見た菅谷は
気分を悪くして一時退場してしまった。
無論菅谷との握手を期待したヲタ達は激しく不平を鳴らした。
司会の女がオロオロして何もできない中、
我々を見据えていた桃子はマイクを取ってはっきり言い放ったのだ。
「菅谷はいなくなっても私たちががんばりますから!」
会場は完全に桃子一色に染まった。鳴りやまぬ桃子コール。
そうだ、ロリコンと後ろ指刺されつつ集まった俺たちは、
ベリーズだけを追いかけてここまで来た。
世間からはみ出たものの集まりだが、
いまは大好きなベリーズに相対しているではないか。
目の前の桃子が自分の矜持を貫くとき、
ヲタもヲタたる矜持を貫かねばならん。
そんなことを考えたのかもしれない。
燦然と輝いていた桃子がただただ眩しかった。


そんな桃子が今になって変貌したとか変質したと私は考えない。
時代は移り変わりアイドルへの需要も多様化してきている。
アイドルとしてはバラエティも大切な要素になってきている。
しかし、桃子が生粋のアイドル魂を持つ
アイドルの中のアイドルだと知る古参のヲタは、
道化の中に見え隠れする桃子の本質をきちんと理解してやって欲しい。
桃子は時代の要請に応じつつ、現代のアイドルに求められる
バラエティへの取り組み方を必死に模索している。
それがやっと形となって発露した時期に差し掛かっているのだ。
桃子の用意した様々な仕掛け(許してニャン、桃アタック等)は
彼女の堅実な仕事の集大成とみるべきであろう。


この輝きを失ってはならない。
たび重なる醜聞によって我々の愛したベリーズ工房は既に死んだ。
桃子も一時期はやる気をなくしたこともあったようだ。しかし、
一度死んだベリーズが桃子の孤軍奮闘によって息を吹き返しかけている。
やはり桃子は持っているのだ。アイドルとしての「天性」をな。
これに気付かんで何がヲタか。
もうベリーズにこだわることはないではないか。
他のメンバーへの遠慮もいらぬ。嗣永桃子として立ち上がればよい。
私は先述のイベントの際、桃子に「ソロが見たい」といった。
ようやくその時が来たと思われる。
これからの桃子はベリーズ本体と活動を切り離し、ソロとして動くべきだ。
遺憾ながらベリーズに残ることは桃子の才覚を食いつぶすことにしかならない。
死に体の箱はさっさと打ち捨てて、まばゆいばかりに輝く才覚を
大勢の人の前にぶつけ、本来の桃子の姿に立ち返るべきだ。