藤本歌唱を掘り下げる 〜その1〜

歌謡路線の第一曲目となった「置き手紙」は失敗作であった。
藤本持ち前の声質や、彼女の革新性を活かしきれぬまま
だらだらとした演歌曲調のものを嫌々歌ったという印象以上のものを
我々は受け止めることが出来なかった。
にもかかわらず、ハロメンのソロメンバー悉くが
売り上げ絶不調(松浦9000、久住9000等)のさなかで、
唯この曲のみが2万枚以上の累計を叩きだしているのは、
藤本の天性の素質と、たゆまぬ営業努力、一糸乱れぬヲタ達の連携の
なせる賜物であったと確信している。
これらが万人の納得する形で実を結ぶためには
次曲に満を持して期待するほかはないのである。
しかし、我々は指を咥えてこれを見ていることしか出来ないのか。
立てよ世論を。激論を交せ。天下の逸材を失ってはならない。
ヲタの総意を、経済混乱に陥り心に歌を失った衆生の叫びを、
インターネッツの力で生産者に訴えねばならぬ。
真に藤本のことを考え、藤本のためを思って動いているヲタの力で
事務所の軟弱を打ち砕くのだ!!!!!!!!!!!!!!!!!


と、言うことで
諸君。ごきげんよう。常山のロリコンこといつも紺プリである。
今私は石川さゆりの演歌を聞いている。
演歌はいいね。日本の心だ。
このアルバムの中に「恋唄綴り」という曲が入っているのだが
これが緩急の付け方にメリハリあって実によい。
「愛燦燦」や「雪国」も入っているカバー集だったので
元曲は誰の曲かなと調べてみたらなんとベーヤンであった。
なんでこの曲を藤本に出さないのかね。
気がきいてないというか人間として終わってるだろ。
例えていうならば藤本のために懐で温めた草履を出そうと思ったけど
尻にひいていたと勘違いされるのが嫌だから
フンドシの中で温めてしまいましたくらいの間違い。
戦国の世であれば完全に手打ち。豊臣秀吉もビックリなわけですよ。
なんでこの曲が藤本のための曲であるかというと、

(その2に続く)