モンキーダンス考

ベリーズ工房:それ行けモンキーダンス


先に言っとくと私はこういう曲が大好きだ。
ロックにせよポップスにせよ
馬鹿が出来なくなったら芸能は成り立たぬものだと思っている。
普段の恋愛ソングや可愛らしい女の子ソングはさておき、
今回のベリの馬鹿っつらどもはかなりキていると判断できたため、
藤本ヲタの私ですら取るもとりあえず鑑賞に耽ったのであった。


だがなあ、惜しい。
このPVに要らない人間が一人だけいる。
馬鹿になりきれないのならこの曲は降りるべきだ。
徳永のリアルすぎて笑えない領域に達しているサル。
まあさのもうブタと紙一重で種の区別すら困難なブタザル。
嗣永桃子の名前から一歩も外に出ようとしない嗣永桃子
ここまでアホヅラ下げたエテ公軍団の中に、
ホモサピエンスぶったメスは必要ないんだよ夏焼雅
真剣にやってるサルどもにむしろ失礼な話だ。


ベロチュー事件は公式説明が全くないまま闇に葬られた。
事務所の黙殺は当然の帰結として数多の情報難民を生む。
数少ない信頼できる情報源からの発表を得られないまま
あるものは動画そのものを真実とみなし、ベリを去っていった。
多くのヲタが採ったこの選択はおそらく正しい。
事務所の黙殺自体が、与えられた動画が
真実であると示唆するものであるし
それ以降の夏焼雅の仕事ぶり
=本作PV=から見てもそれが明らかだからだ。



画像が汚くて申し訳ないが
この場面ではサルであることを強調するために
ほとんどのメンバーに脚を大きく開くことが求められた。
ところが、ご覧の通り夏焼雅だけは
両側に大きく遅れをとるいい加減な仕事ぶりだ。
普段、ことPVなどにおいては破格の完成度を誇っていた夏焼が
本作に限ってなぜこんなにいい加減なのであろうか。
夏焼雅はサルになりきれなかった。」のである。


人間は、自分に下る周囲からの負の評価を返上したがる生物である、
という謂いは人間社会学の基本事項であるが、
特にアイデンティティの確立過程にある青少年においては
その傾向が顕著だとされる。
異性や周囲の目を気にしがちなお年頃の彼女が、
不名誉にも「淫獣」「ビッチ」などと貶められている矢先に
まさに「淫」の象徴であり「獣」である
サルの真似など出来ようはずもない。
いつも完璧な雅が、ここで躊躇してしまった。
諸君、これは雅からの公式発表なのだ。
負のアイデンティティに戸惑い、恥らう彼女の姿からは、
やはり遺憾ながら動画が夏焼雅本人であり、
全てが真実だったことを改めて読み取ることが出来る。



「画竜点睛を欠く」
残念なことにお祭り好きの狼住人にとって、久しぶりに
思い切り楽しめるはずの大馬鹿ソングが純粋に楽しめぬものとなった。
かつて二葉亭四迷は文学の道を選ぶ際、父親に「くたばってしめえ」と
罵倒されたことから自らのペンネームを二葉亭四迷とした。
昔気質の父にとっては、芸能の道はそれこそエタ非人の生業で、
私生活を売り捨ててまで、馬鹿をやらねば成り立たない、
厳しい道だと分かっていたからである。
今の夏焼が置かれている状況は
公式発表無し、お咎めも無し宙ぶらりんだ。
無論、まだ若い彼女に私生活(彼氏とのひと時)を
売り捨てることなど出来ないだろう。
ならば、他のメンバーにも客にとっても迷惑になるだけである。
大好きな夏焼雅にだからこそ私は声を大にしていう。
さっさと辞めろ、と。
はらわたを抉られる様な思いだが仕方あるまい。
握手会の後、とある駅で偶然遭遇し、声をかけた私にだけ、
彼女は温かいレスをくれた。
あのときは、私も彼女も純粋だった。
美しい思い出は美しいままにしたい。
これは夏焼雅ヲタとしての私の最後の思いやりである。