置き手紙総評

藤本美貴の復帰作「置き手紙」の全貌が、
ドアップにてようやくプロモーションとともに公開された。
五年ぶりの復帰作であり、且つアイドル歌謡たる
なんとも胡散臭い新ジャンルの開拓という意味で、
衆生からの期待と注目を一身に集めてのリリースであったわけだが
皆さん如何な感想をお持ちだったであろうか。


正直、新ジャンルとは名ばかり。
これまでの歌謡曲の枠を一歩も出でぬ詰らぬ演出に退屈した方も多かろう。
藤本最右翼と恐れられた私とてそう思ったのだからこれは致し方ない。
ひとえに制作サイドの無能が全ての不幸の原因であるわけだが、
これを一つ一つ暴きながら、適正な評価を下し、世論として喚起せしめ、
かの事務所に改善点の要求として突きつけていくことが
ヲタたるの使命であると痛感する。


まず第一に作詞がまるで凡人のなす業である。
これまでの藤本作品において表現されてきたものと
本作とのかけ離れた誤差に制作サイドが全く気付いていないのが致命的である。
例えば藤本きってのヒット曲「ロマンティック浮かれモード」によって
藤本が表現したものは何だったであろうか。
諸君、それは曲中最後の一節に最も鮮明に表わされている。
「悟られないように恋が始まりそう〜」   これだ。
藤本美貴という人は
非常に照れ屋で、不器用で、感情表現の苦手なツンデレ屋だ。
恋は他人に悟らせない、好きでも好きとなかなか言わないその等身大の藤本を
見事に表現しきったからこそ紅白出場のきっかけとなるまでの大ヒットとなった。
ロックであれ歌謡曲であれ歌詞たるものその表現者の心の内から
真摯なる言葉として発せられて初めて聴衆を揺り動かすものだ。
藤本の元々の性情にそぐわぬ直情過ぎる歌詞付けが本人の良さを損ねている。
歌い手本人の性格や性情の研究を怠り、
謡曲の王道を守ることだけに重点を置いた本作作詞家は
詩作の本質を理解し損ねた門外漢である。文化人として恥じるべきであろう。


第二に作曲である。
藤本美貴が歌謡曲として初挑戦したと言っても過言ではない、
GAM1stアルバム中の「ここでキスして」は、つんく楽曲であったが
彼女の魅力を引き出すに十分なメロディーラインを保っていた。
編曲によって曲調をあくまで歌謡曲風に維持したものの
コード進行は衆耳の予期し辛い方向に持っていくことで
楽曲としての面白味を残したのである。これが松浦よりも藤本にマッチした。
これに対して「置き手紙」はあまりにも歌謡曲の体面にこだわりすぎた感がある。
本作の作曲は最初から最後まで一糸乱れぬ歌謡曲である。
2番の出だしのところでボソリと台詞のようなものが入ること以外
まさに非の打ち所のない歌謡曲だ。何の面白味もないまま
サビだけ馬鹿にキーを高くして最後をしょんぼりと締めている。
しかし先ほども述べたがこのような形式ばった歌謡曲の王道が
果たして藤本美貴その人に求められるであろうか。
彼女の才はアイドル史上において既に異端であったし、
今後の歌謡界にとっても同様であろう。
歌手本来の持ち味である異端性を押し殺し王道に殉じさせるかの如き楽曲提供は
彼女自身の純粋なファンからしたら
いかに歌謡界のヒット作家によるものだとしても迷惑以上の何者でもない。
吾亦紅が何枚売れたんだか知らないが、
たかが人間風情に天の与え給うた才覚をどうこうできると思われてはたまらない。
藤本美貴藤本美貴たらしめる楽曲提供がない限り
ヲタとしては頑としてこれを拒絶すべきである。


藤本歌唱が唯一の救いとなって、これら制作サイドの不明は
最悪の非難を免れるかとは思うが、これでは正直売り上げが厳しかろう。
出てきた数字を見て制作サイドは肝を冷やすがいい。
天命にそぐわぬ楽曲では何をやっても駄目だしヲタは騙されぬのだということ。
待ちに待った藤本復帰に
このようなつまらぬ曲が回されたのは不本意極まりないが
ヲタとしての節度は守らせてもらうつもりだ。
願わくは次の楽曲はもう少しましな出来のものを用意することだな。