閑話休題〜結婚〜

ちょっと前にある人からweb上で尋ねられた。
「歌唱のことで藤本美貴を語ると先生の右に出る人はいませんが
 実際のところ恋愛の問題で藤本を叩くアンチがいた場合は
 擁護が難しくはありませんか?」
確かに恋愛問題に対して私はこれまで明確な言及を避けてきた。
夏焼、有原などがスクープされた際は、
社会的な人倫と道義道徳を守る立場から、これを徹底的に叩いたが、
藤本に関しては既に成人なのであれこれと言う必要性も感じなかった。
アンチの叩き方の切り口にしても、
相手が三流以下のどうしようもない芸人であること以外は
事実確認もする気も起こらないのない他愛のない内容が多かったし
私がコテハンで出て行って目くじらを立ててまで
反論するほどでもなかったというのが実際のところである。


それがこの度は、正式に婚約結婚するという報道を受け、
さすがに一言も発しないわけにも行かなかろうと思い筆を執った次第であるが、
正直言って諸君が期待しているような面白いことは言えそうもない。


「おめでとう、藤本美貴
 純愛を貫いたあなたは女としても一流だ。」


と、私が言えるのはこれだけだ。


魏の武帝は「乱世の奸雄」と評され、
講談などでは悪役にされることが多いが実際は古い体制を打破し、
新しい世の中を作ろうとする一人の改革者であった。
人事においては「唯才是挙」-求賢令などと呼ばれるが、
儒教理念に基づき築きあげられた人脈主義的な推挙のシステムを
根底から揺るがす一大提案を行なったと言えよう。
後漢末の混乱の原因の一つが、
「孝廉」に始まり、果ては出身地にまで優劣をつける
儒家の人物評をもとに下された官吏登用制度にあると断罪し、
四百有余年にわたる漢帝国儒教観を片方で無視しつつ、
片方で儒教観に拠る有能な人材を使いこなしながら
罪人でも才のあるものを取り立てろと布告した彼の急進さは
清流出の知識人たちにとっては非常識としか受け止められなかったであろう。
これに異を唱えた崔 琰、孔融、楊修など数多の人材が旧体制に殉じた。
武帝の改革は身内からも多くの血を流したが、ここで大切なのは
形無く目に見え辛い儒教的教養よりも実務的な技能に着目した点である。
当時は扱いの低かった専門職の地位を引き上げ
優れたものであれば造酒法にまで上奏を付ける肌理細やかな施策は
やはり魏の強さが内実の伴ったものであることを証明している。
彼の治下において必要とされたものは具体的な何かを産み出す力であって
人脈を拠所としながら利権のみ漁る国家の害毒は徹底的に排除された。


話を藤本に戻そう。
賛否さまざまではあると思うが、
ヲタにとって大きな感動を生み出すだけの力を持つアーティストが、
結婚したからといってその魅力を即座に失ってしまうものであろうか。
我ら藤本ヲタは他の軟弱ヲタどもとは同一にあらず。
アイドルの処女性や見掛けのかわいさだけに拠っているのではなく
藤本美貴の才覚に拠ってヲタであり続けているのである。
一体結婚が、彼女の才覚のどれほどを占める大事であるというのか。
魏武が大才の前に罪歴を問うていないのと同様、
我らが大才の前に婚歴を問う必要は芥子粒ほどもないと断言する。
このような瑣末な小事を前にヲタたるの確固たる姿勢を崩せば
それこそ末代までの恥。
どのツラを下げて今まで推しメンのグッズ買い漁ってきたかという
そこのところの基本部分を問われることになろう。


よって私が藤本美貴を推し続ける姿勢には一切の変更もない。
テレビもバラエティも大いに結構。
グータンヌーボーだけはやめて欲しい気持ちがある。が、
これらの活動も全てひっくるめて、
いくらでも新たな楽曲を産み続ける肥やしにしてほしいものだ。