輪廻の残光

カントリー娘。あさみ、みうな脱退。
思えばこのユニットは始めから終わりまで波乱だらけだった。
デビュー前にメンバーが亡くなり、UFAによりドーピング漬けとなった。
半芸半農を捨て去って寒冬を今日までしぶとく耐えてきたが、
蓋を開けてみれば残ったのは初期のコンセプトとはまるで異質な形骸。
「カントリー」の名にのほほんとした長閑さはむしろ感じられず、
まさに地元の草の根アイドルが
大都会の寄生植物に根絶させられたかのような後味の悪さである。
私は五期以降のヲタなので、無論
カントリー創設初期の事情など詳しく知らないわけだが、
今回の件で少し調べたことを雑感と共に書き記し
カントリーへのけじめとしようと思う。


まず古い映像からうかがい知るに、
デビュー当初のカントリーは名と体が完全に一致していた。
手作りのギター、路上に子供たち、ラフな格好のりんね
ロケ地がどこだったかは知らぬが言いようもない「カントリー」臭が
立ちこめていたのはやはりりんねの存在感によるところが大きいのだろう。
それと彼女の歌唱にはどこか熱が篭っていた。
仲間を失い、独り手でカントリーの名を背負った者の頑張りを
きちんと感じ取ることができるのである。
同時期のハロコンでの彼女の歌唱もやはり同様であった。
この時期のカントリーを単なるモー娘。の付随ユニットとして捉えることは
私にはとてもできない。本体とはかけ離れた「カントリー」としての味が
あまりにもはっきりと出てしまっているのである。


さてりんねが孤軍奮闘するカントリーに
次に犬ぞり少女の木村麻美が加入するわけだが、古参のカントリーヲタ諸君に
こんなことを言ったら怒られてしまうかも知れんのだが、
私はここが「カントリー娘。」のアイドルとしての崩壊分岐だったように思う。
もともとこの娘は花畑で犬ぞりの訓練を受け、犬ぞりの片手間にオーディ合格し
運動能力の高さを評価されて加入したものだ。つまり牧場経営の才なのである。
ギターを作成し、自ら弾き語るりんねとは全く異質の才なのだ。


アイドルに求められぬ犬ぞり練達者としての才能。


それは全く「カントリー」の名にし負う、いい意味で面白い才能であるには
違いないが、いささか名と安直に結び付け過ぎたのではないかという感がある。
実際彼女は何も歌えなかったのだ。


あさみの歌えなさは娘。からのドーピングを受けた後も変わらなかった。
CD音源でさえ音を外すあさみに石川梨華の壊滅的歌唱力が追い討ちをかけ、
りんねのよさは全く失われてしまった。それならまだいいのかもしれん。
りんね一人では野生的なイメージだったカントリーに
ハッピーバースデーやら女の子やら意味不明な色付けがなされ
「カントリー」というコンセプトを完全に形骸化されたのもこのときである。
もはやりんねが北海道出身である必要性はなく、
あさみが犬ぞり少女である必要性も全くなかった。
これは多くのカントリーヲタ諸氏の同意を得られると思うが、
カントリーはこのとき既に氏んでいたのだ。


みうな、藤本と紺野の参入は
失われたカントリーの色を再発掘する試みだったのではないかと思っている。
シャイニングは売り上げこそすくなかったが初HBなどよりも
はるかにアメリカン=カントリー=テイストだった。
カントリーヲタ諸氏にも評価の高い、求められたこの楽曲は惜しいことに
それを体現しうる有能な才を一人欠いてリリースされることになったのだ。
この名曲を例えばりんねと藤本が
紺野みうなのサポートで歌ったらどうなったのだろう。。。
歴史にifは禁物だが想像するとこのユニットの持っていた
田舎の、懐かしい、あたたかな風景が眼前に広がるようで惜しまれてならない。


平成18年11月  カントリーの色は永久に失われた。