TDS騒動所見

田中れいなに関しては本ブログ開設以来、常に強い支持を表明し続けてきた。
それは一人のヲタとして田中れいなの中に大きなアイドル性を感じたからであって
今、過去の自身の発言に遡ってもそれは間違っていなかったと思っている。
しかしながら今回の騒動を経て、自らの心に残ったこの空虚さはなんなのであろうか。


・・・アイドルとはいえ一人の女の子だから恋愛するのは当然。
・・・れいなを信じていたのに裏切られた。
・・・他メンに累が及ぶまえに解雇すべき。


インターネッツでは既に様々な声が上がっているが
どれもわが心中の虚を表すのに相応しい言葉ではない。
私が感じる空虚さは東京ディズニーシー
彼氏と楽しそうにしているれいなに向けられているのではなく、
それまでの田中れいなのアイドルとしての働きに向けられている。


彼女はモーニング娘。に加入し、そこで何を果たしたか。
「一番になる」と彼女は言った。「一番」とはセンターのことか、
「ボイトレをする」と彼女は言った。「ボイトレ」は継続されたか、
「後藤さんを尊敬している」と。「後藤」を超えたのか、、、
まだ何一つ始まっておらず、まだ何一つ終わっていない。
それなのにぽっかりと別の何かが終わったような感じを埋め切れないでいるのだ。


以前、本ブログでは田中れいなの歌唱力に対し、まだ不満な点が残ると記した。
偉大なる藤本や、それこそ後藤から多くを学び取って精進してほしいという思いからだ。
完成しきっていない歌声の魅力こそ若さの証明であるが
アイドルとしての彼女には自分の問題点を前向きに処理していく
時間とバイタリティと、才能と気骨が十分にあった、否まだあると信じている。
願はくは目の前にある写真は休暇に男と遊ぶ姿ではなく、
ボイトレに明け暮れる姿であってほしい、と思うのは一アイドルヲタとして
贅沢な望みなのであろうか。