TV業界の今後

紺野あさ美がテレ東の局アナに内々定するという事故が起きた。
いまだ放送されざる放送事故を目の当たりにしたのは私の人生では初めての経験である。
AO入試という極めて恥ずかしい選抜方法を利用しながら、あざとくも慶応大学に滑り込み、
ずうずうしくもアナウンサーになるための勉強をしているという話を風の便りに聞いてはいたが
フジ、朝日等々の局にすべて断られ、テレ東というこれまたとりたてて思想や主張を感じない局に
内々定が決まったというニュースには少なからぬ驚きを感じた。よくもまあ採ったものだ。


元モー娘の中でも際立った紺野の勝ち組ぶりに称賛の声すら上がっているが
既にヲタを離れ、一思想家としてインターネッツ活動をしている私には
この事故の裏側にある、TV業界の混迷ぶりと、TV文化退廃の予兆しか感じ取れないのである。


そもそも女子アナとはいかなる存在か。
華やいだニュースにさらに華を加え、陰惨なニュースには和らぎを加え、
暗いニュースにさえ明日への希望を加えることができるのが女子アナではないのか。
また、男性主体と見られがちな日本社会に女性の立場を代弁することができるのも女子アナであろう。
ときにはバラエティでタイミング良くうまいことを言うのも女子アナであろう。
素人考えでも女子アナにしか担えないであろう役割はこれほど明確に存在するのに、
その担い手が紺野!!!!!これはどうだ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


昨今、女子アナの存在意義が高度成長期のそれに比べるとたいして重要でなくなっているような気がする。
女子アナとバラドルの垣根が不明瞭になり能力はたいして変わりないのに
肩書きだけが違うということが往々にして存在する。
また、女子アナの中には昨日までバラエティ番組で素人として出演していたのに
次の日からはニュースでお天気を読んでいた、
そしてその妹もいつの間にか23時台のニュースのメーンキャスターになっていたという、
民間ではあってはならないような不公平で血統主義かつ穴姉妹極まりない人事が存在する。
まさに女子穴である。
さらには元アイドルを目指していたがアナウンサーとなり、
アイドル番組の司会を務めるなどというまるでプライドのない女子アナも存在する。
これらはすべて業界人の腐敗を象徴する事例である。
女子アナにしか担えない役割を周辺化し、人脈だけでその辺のたいしたことのない女を捕まえてきて
女子アナという冠を付けてやることで喜ばせ、いいように金儲けさせてるだけなのだ。
それに乗っかっている女もすべて馬鹿女の汚れである。
プロデューサーの腹の上に乗っかってれば仕事が回ってくるんだからそれは楽な話だろう。
全国のニートにやる気が出ないのはこういうアホが公共の電波で全国に晒され
努力せずに名声と賃金を得ていることに腹を立てているからである。
汗水流して働くのは馬鹿らしい貧乏人のすることだと一番大声でほざいているのは
誰よりも取り澄ました顔で、地元工場の惨状をライトアップされたスタジオから中継している業界人どもなのだ。


業界がそのように腐り果てているのであれば紺野がアナを務めることに問題がないと言えるか。
断じて否。
そもそもニュースというのはその社会的な役割からして公共性や中立性が求められるべきだ。
汚れ女ども並びに紺野がアナウンサーに採用された審査基準には万人を納得させる説得力がない。
つまり紺野並びに汚れ女どもには女子穴という職業の公共性が付与されない。
競争によらず何らかの人脈を使ったであろうと考えられる公共性のない人間には
ニュースを読み上げる資格どころか電波に乗る資格すらないと断言しておく。


無論、女子アナすべてが汚れだと言うつもりは毛頭ない。
テレ朝の市川寛子ちゃんのように純粋で汚れがなく、処女の、ニュースを読むと和らぐいい女子アナもいるが
5分の4以上は汚れだと考えてもよかろう。
とにかく、私が言いたいのはこのブログを読んでいる女子諸君に中に
プロデューサーの腹に乗っかるだけで女子穴になれると考えている人がいたら
そういう人は人生をリセットして1からやり直せということだ。
完全に頭がおかしい。
女子穴になって野球選手やら歌舞伎俳優と結婚したいとか
金のことしか頭にない汚れ女は売春婦にでもなったほうがよほど世間に迷惑がかからないだろう。
私はインターネッツ社会の申し子として
このような汚れ女どもが公共の電波に乗る現TV業界を徹底的に叩きつぶすつもりである。