ハロモニ駅

駅・・・そこに行き交う人々は、そこからどこに流れていくのだろうか
始点であり終着点であるスタシオンに始まる者と終わる者とが集う。


今のところどれも導入過ぎて詰まらんハロモニ新コント。
大勢出てくるメンの中で特に際立った光を放つのは、
やはり旧体の象徴安倍さんとミラクル小春が織り成す凸凹コントであろう。
安倍さんについては、ハロプロ内でドカンと居座っているという
大御所的なイメージが私の気持ちの中に未だに根強く残っている。
忘れもしない、
目利き娘で紺野を叩いた時の安倍さんはやはり強かった。
ネチネチと後輩を苛めながらもきちんとあたりを引き当てたのは
敵ながら天晴れというしかあるまい。
ぬっち事件以降は露出も控え目に、しおらしい姿が目立つが
それでは安倍さんの本質が事件以降変質したのかと問われれば
断じて否だと私は言い切るだろう。


なんというか変わってないよこの人。
歯軋り気味に舌打ちをし、姑の氏を願う安倍は全くの素。
以前に誰かの氏を願ったことのない人間にこの演技は出来ない。
それが後藤か松浦かは全く以って私には関係のないことであるが、
ここまであっけらかんに素をだしてしかも面白いのは
やはり生来のタレントなのだろう。


ラク久住小春の池沼な演技はこの安倍さんの演技に
強烈なアンチテーゼを提唱する。
つまり昔から娘周辺に横たわるパワーバランスとか上下のしがらみを
全く知らない世代の代表としての存在感を見せ付けるわけだ。
酷いのはこれも演技ではなく全くの素だと言うことだ。
安倍さんの半分以上素の混じった演技を、
やはり大真面目に池沼な小春のミラクルに近い馬鹿が相殺する。
その一瞬の真空に視聴者は笑わざるを得ないのだ。


こうして考えると一見つまらん尽くし、かわいいだけ尽くしの
駅前コントもなかなか奥の深いものになるまいか。
れいなは確かにかわいい、しかしかわいいだけではいかん。
安倍さんに習ってぬっちだけはしないようにして欲しい。