赤裸キャンプ場

人間が全裸になる。これは一体どんな時なのだろうか。
或いはどういう場所でであろうか。まず人は生まれたときは無垢な赤子である。
成長の過程の中で羞恥心を身につけ、服を着、滅多なことで他人の前では
脱がなくなるものだ。従って、我々が日常生活の中で全裸になりうるのは、
風呂に入るとき、人によっては風呂から上がったとき、寝るとき、
性交渉を行うとき等、かなり限定されたときと場所でしかありえない。
しかし、興味深いある古文書によると、もう一つ、我々の私生活の中で
全裸となりうる場面があったそうなのだ。
その古文書からの抜粋をここに掲載したいと思う。


「その者、青きマワシも身に着けず、金色の土に降り立つべし。
 白き粉を振り撒いて、ドスコイドスコイ。」


この古文書の内容から察するに、どうやらいにしえの
相撲取りの形容らしいのだが定かではない。
相撲は元来、神に奉納するスポーツであったといわれる。
武器を所持せずに戦うことを神に誓うため、
古くは全裸で取り組んでいたというのだ。
四股を踏む前に両手を広げるのも武器の不保持を証明するためだ。


こうした相撲の事例からもわかるとおり、神前で人は全裸であった。
人間が神に近かった元始、女性が太陽であった頃は全裸が基本だった。
成長の過程で身につけた羞恥心は、実は国家の教育による刷り込みであることを
忘れてはならない。だからこそ芸術家は宗教性の高い絵画に全裸を描き、
我々の飽くなき欲望は全裸になることによって満たされるのである。


幸か不幸か我輩はこのキャンプ場での神前儀式を
直接この目で見ることができなかった。しかし、神に近しい人々が
一同に集う、楽しい宴であったことだけは間違いないのだ。
このような席に同道できたことは恐らく一生の思い出となるだろう。
参加諸氏には心からの感謝を申し上げる次第である。


Thanks
アナル・初段さん・えーこ・秋葉ちゃん・後藤君・二号機・ヘコヘコ・さまあさん
こぶちゃん・白天さん・とげぴー・チナレン・さきっちょ・たも・チーズたん
YZ・まいはちゅー・ぶっさーさん・イエマン