HPSFにおけるアイドルの類型
はっ、これはこれは、諸君ごきげんよう、いつも紺プリである。
HPSFのDVDが吾が草の庵にもようやく初夏の霊光をもたらした。
以下拙い文章ではあるがレポートをお送りする次第である。
今回のSFDVDは各メンバー毎という新しい試みの下で販売された。
選り抜きだった以前と比べ、各メンの素顔をじっくりと見ることができ
また邪魔な部分を早送りする必要もなくなったので快適な鑑賞ができた。
しかしながら、こうして何枚も推しメンのDVDを連続してみていると
今まで気付かなかったことにいろいろ気付かされるものだ。
同じ競技を世代を越えた様々なメンが取り組むことによって
本当のアイドルとは何か、などと普段考えないようなことまでも
頭をよぎって往く、涼秋の風の如くに。
今回はそんな中でも「跳び箱」にスポットを当てて
諸君らと一緒に真のアイドルの姿を追求したい。
まず「跳び箱」たる競技について、否、「アイドル跳び箱」について
予め諸君に断っておきたいことがある。
この競技は「飛べない瞬間」に、「アイドルとは何ぞや」という
最も深遠なテーマを突きつけられる競技であるということだ。
この共通の認識がない限りは論を先にすすめることができないので
読者諸君にはその点だけご了承いただきたい。
さてそれではいよいよ各面の「飛べない瞬間」であるが
これはキャプった本人でさえ驚愕せざるを得ないほど美しい類型結果が出た。
1については跳躍のあと股をガッチリと完全に閉じて
片時も油断が見られない。アイドルという職種の故に
「撮られること」をかなり意識しているメンに共通の傾向である。
言うなれば最も堅実な仕事を好む、紺野、田中に見られた。
2については若さから来る経験のなさから特に跳び箱頂上付近で
股をだらしなく開いてしまった。アイドルという職種にありながら
「撮られている」ことを忘れ、目前の出来事に我を忘れてしまう
言うなれば処女丸出しのメン、後藤、夏焼に特に見られた。
3アイドルの仕事もここまで行くと「プロ」と呼ばれるようになる。
撮られていることを意識しながら、更に「見せてやる」という精神で
常に観衆の予想の上を行く藤本、嗣永。見事なり。
藤本の落下後はむしろ小股に脚を開き「ほんの少し」という約束事を
決して逸脱せぬプロ振りである。
これに対し嗣永は大股を開き「これでもか」という程のサービス。
しかも股の間からしっかりと笑顔をのぞかせるポジショニング。
同じプロではあるが、二人の違いを年齢差というだけで片付けることは
できないだろう。藤本は人生の上に男心を擽る術を身に付けている様だが
嗣永はいったいどういうことなのであろうか。
寒村の貧乏生活が、彼女に生きるための知恵として与えた天賦の戦術か。
或いは激化するベリーズ内の抗争に打ち勝って来たものの闘争本能か。
各面ごとに販売されたSFDVDは横並べすることによって
一人ひとりの存在を更に浮き立たせた。
あなたの買ったDVDも
わずかな瞬間にそのメンの本質を抉り出しているかもしれない。
ここは一つじっくりとSFDVDをもう一度見直してみてはどうだろうか。